セ~ブふぁん備忘録2

旅の記録です。

《ご案内》新型コロナウイルス感染拡大予防のため、残念ながらしばらくの間は遠出できなくなりました。記事を加筆修正するなどしていきます。

京急事故報道に対する批判をみて思ったこと

この記事では誰かを悪く言おうという意図はありません。また、京急についてはほとんど利用しないためよくわからない人間が書いていることをご了承ください。記事の目的は京急事故報道に対する明らかにズレた一部の批判について考えることです。

www.sankei.com

京急事故報道に対するSNS上での批判

ご存知の通り先日大きな事故がありました。この事故を受けてTwitterでは、「がんばれ京急」「ありがとう京急」「負けるな京急」などのハッシュタグが付けられた、運転再開を願い応援したり、運転再開への感謝の意を述べる投稿が数多く見られました。

そのなかで多く見受けられたのが、「なぜ止まれなかった」「運転士歴は一年1か月」などという見出しを掲げたマスコミの報道など、主に京急の過失を問うような報道に対する批判です。

 

例えば「電車は急に止まれないのだから仕方がなかった事故だ。マスコミは京急を悪者にしようとしているが、今回の事故で悪いのは無理に侵入したトラックであり、京急は絶対に悪くない」などという趣旨の意見や、「運転士歴を報じるなんておかしい。マスコミは運転士のせいにしようとしているのだ。マスコミは運転士歴が長ければ止まれたとでも言いたいのか。」といった意見です。

 

また京急側の過失はないと擁護する意見としてよく見られたものを総合すると

京急は先頭車両に台車が重いモーター付き車両を採用したり、これだけの対策をしている。ほかの鉄道会社だったらこれだけの死傷者では済まなかったはずだ。よって京急は悪くなく、京急の過失ばかりを問うマスコミは腐っているのだ。」というものがあります。

 

news.tv-asahi.co.jp

 

批判は正しいのか

ではこれらの批判は根拠をもって行われ、適切な批判であるといえるでしょうか。

私が記事や報道を見たところでは、そのように京急の責任を過度に追及したり、運転士の責任を過度に問うような報道、すなわち「運転士が悪い」だとか「京急が悪い」と明確に主張しているものは見受けられませんでした。どれも、京急側が発表した事実を単に述べているだけのように思えてなりません。(ワイドショー等は見ていません。)

私にはファンとしては都合の悪い事実を無視して記事を解釈し、拡散しているように思えます。つまりやっていることは、そのような人々が主張する「都合のいいところだけ切り取って広める」というマスコミの手法と全く変わらないように思えたのです。言ってしまえば「『これはフェイクニュースだ!』と都合のよいところを切り取り拡散するフェイクニュース」です。

 

一つずつ見ていきたいと思います。

 

まずは「なぜ止まれなかったのか」京急の責任を問うことになるような報道に対する「電車は急に止まれないのだよ」という意見。

今回の事故では、踏切に異常物を検知した際に、京急自身の想定では止まれる距離に電車がいた(1キロ以上手前にいた)ことが確認されています。つまり、踏切に異常物を知らせる信号機がうまく機能していて、すぐにフルブレーキをかければ「十分に止まれるはずだった」可能性が高いと考えられています。それなのに「なぜ止まれなかったのか」ということが問題となっているのです。

→「電車は急に止まれないのだから仕方がない」というのは批判としては成立しないといえるでしょう。

 

「運転士歴を報じるなんておかしい。マスコミは運転士のせいにしようとしているのだ。マスコミは運転士歴が長ければ止まれたとでも言いたいのか。」といった意見。

「運転士歴は1年1か月」というのは京急が発表した一つの事実であり、だからといって「運転士が悪い」とは報じられていません。

また「運転士さんはやれることはやってくれた」というのももちろん一つの事実かもしれません。しかし、「だから運転士さんは悪くない」と主張するのは現時点では無理があるでしょう。「運転士さんは絶対に悪くない」と言える根拠となる情報は報道されておらず、適切な位置に設置されていた特発信号機を見落とした、もしくは無視した可能性は否定できないと考えられているからです。

 

似たような意見を総合すると「京急はやれることはやっていた。先頭車両をモーター車にしたり、線路を標準軌にしたり、高い安全へのこだわりがあるのだ。なのにマスコミはそれについては全然報道せず、京急たたきに必死だ。安全意識の高い京急だからこそ事故の死傷者これだけで済んだのだ。ありがとう京急。」といったものがあります。

まず、事故のきっかけを作った人物であるとはいえ、トラック運転手が亡くなっているのにもかかわらず、「安全意識の高い京急だからこそ事故の死傷者これだけで済んだのだ。ありがとう京急。」といった趣旨の言葉には共感できません。個人的にはもう少し想像力をもって発信していただきたいなと思うわけです。(「復旧頑張ってくれてありがとう京急」はわかりますが…。)

今回の事故ではこれは問題ではないでしょう。問題なのは「止まれたはずなのに止まれず、衝突・脱線し、死者が出た。」ことだと思います。

また、「先頭車両が台車が重たいモーター車両…」というのは、どこかに根拠(データ)があって京急が採用しているのだろうと思いますが、私たちには、それが今回事故被害の軽減に役立ったかについては明確な根拠は見いだせないはずです。「衝突相手が箱状のトラックであり、中身が果実だった」「ラッシュ時間帯でなかった」という様々な条件が重なっての、今回の事故状況です。

 

「悪いのは踏切に無理に侵入したトラック運転手であって、京急は全く悪くないのに、マスコミは京急ばかり悪者にしようとしている」という主張

確かに、今回の衝突・脱線事故のきっかけは間違いなく無理に踏切に進入したトラック運転手でしょう。だからと言って「すべてトラック運転手の責任で、京急は悪くない」と言えるでしょうか。答えはNOでしょう。

なぜなら京急の電車が止まれたはずなのに止まれず、トラックに衝突・脱線し死者が出ている」からです。

「トラックのせいだ」というのは、確かにそのとおりであると思いますが、例え無理に侵入したトラックがいなかったとしても、同じ場所で故障し立ち往生してしまった車や、線路に挟まった車いすがいて、障害物検知装置が働いても、非常ボタンが押されても、時速120キロの電車は止まれずに突っ込む可能性があったことは問題でしょう。これらの安全のための機構が実は機能しない可能性があることが、今回の事故で見えてしまったわけです。

 

終わりに

この記事の最初に張った産経新聞の記事によると、京急は 約600メートル手前から信号は見える と述べ、つまり信号を見てブレーキをフルでかければ止まれた設計だと主張。一方運転士は 信号の発行を確認しブレーキをかけた と主張しているそうです。

ですから、今後はどのタイミングでブレーキをかけたのかが争点になるそうです。

  • 時速120キロ走行時に京急が主張する600メートル前から特発信号機は見えない(非常ボタンを押しても止まれない状況だった)可能性
  • 600メートル前には特発信号機は見えたが運転士がフルブレーキをためらったか、見落としたか、ダイヤ重視のために無視した等の可能性。
  • ブレーキ性能の不良

などの京急側の原因が事故を起こした可能性が指摘されています。よって記事を読んでいれば、無条件に京急を擁護することは本来できないはずなのではないかと私は個人的に思いますが、どうやら現時点でもTwitterなどでは擁護する声が上がっています。また個人的には「記事を読んでいるのか?」と疑問に思えるような的外れな批判も多く見受けられました。

そもそも「マスコミ叩き」を目的としている人々・京急の過失、つまりファンである自分にとって都合の悪いことを無視し、都合よく解釈しようとしている人々などがそういった擁護する主張を繰り返しているのではないかと個人的には思います。

そういった無理な主張が果たして京急に対し良い結果を導くかというと、疑問です。

「マスコミ叩き」を信条としている人はそれも自由ですから何も言う権利はないわけですが、京急を擁護したいがあまりに、あまりにも意味不明な擁護やマスコミ批判をしたり、都合よく切り取った報道の一部を拡散したりしている方が多く見受けられ、残念に思ったことからこの記事を書きました。

 

様々な意見があるかと思います。

「それは違う!」「確かにそれは…」など…ありましたら、コメント欄に残していただけると嬉しいです。どなたでも書き込める設定にしてあります。